(この記事はウィキペディアと『源義経 111の謎』を参考にしました)
今日は、「安宅の関(あたかのせき)」のエピソードについて。「安宅の関」のエピソードは歌舞伎の「勧進帳(かんじんちょう)」という演目にもなりました。
源義経が源頼朝の目をのがれ、東北の平泉へ向かいました。その途中、今の石川県にあった安宅の関(あたかのせき)を守っていた富樫 泰家(とがし やすいえ)に「ちょっと待て!お前は義経じゃないのか!?」と足止めされてしまいます。
義経は源平の合戦であれだけ活やくしたのに、合戦後は頼朝に疎まれ、指名手配のおたずね者になってしまったのですね。
義経のピンチに、義経の家来だった弁慶(べんけい)が機転を利かせます。「自分たちは(源平の合戦の際に焼失した)東大寺再建のために勧進を行っている山伏(※1)だ」と言って、たまたま持っていた白紙の巻物を勧進帳であるかのようにふるまい、朗々と読み上げます。
え?勧進とは何かって?説明せよと言われても、あいにく僕もよくわかりませんwごめんちゃいw
といいたいところですが、一応ウィキペディアで調べてみました。
何でも、勧進とはお寺や仏像の修理などをするための寄付金を集めることだそうです。「勧進帳」とは「勧化帳(かんげちょう)」とも呼ばれており、勧進の目的だとか、「お金を寄付すれば、あなたも功徳がつめて、いいことがありますよ」みたいなことが書かれた巻物だそうです。
富樫は疑い、こんどは弁慶に「山伏の心得を言え」だとか、「秘密の呪文をとなえよ」なんて富樫は言ったのですが、弁慶はうまく応えます。
それでも、疑いの目が晴れないので、弁慶は何と義経を棒でひっぱだくのです。「お前が義経に似ているから疑われたじゃないか!」って。それで富樫が「もうよい、そなたたちが義経ではない事はようわかった」と、疑いの目が晴れて義経一行は通ることができたと言うのです。
もちろん、弁慶は義経に対して、棒でたたいた事を泣いてわびたそうです。
一方の富樫は、山伏の一行の正体が義経達だと知っていながら、弁慶の主君を思う心に感服して関所を通ることを許したというのが、「安宅の関」のエピソードです。
感動的なストーリーですね。と、言いたいところですが、この「安宅の関」のエピソードはどうも作り話のようですそもそも「安宅の関」という関所が実在しないというのです。地元の石川県には安宅の関の跡があるのですが、実際に関所があったわけじゃないのです。
また、「安宅の関」のエピソードが『忠臣蔵』に登場するのですね。その辺のお話はまた次回。
※ おまけ
『勧進帳』のダイジェストの動画をご紹介します。
※1 山野に住んで修行をするお坊さん。
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